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出雲大社参拝に行ってきました。

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出雲大社

2016年10月24日(月)・25日(火)で出雲大社参拝に行ってきました。
私は年2回ほど4月と10月の月に参拝をさせて頂いており、この度で10回目を迎えました。
最初にお参りにお伺いさせて頂いた時とは違いさすがに10回もお参りに行かさせていただくと道中も慣れたものです。

出雲大社とは

落ち葉
出雲大社(いずもおおやしろ)は島根県出雲市大社町杵築東にある神社である。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。
出雲大社教は、大国主大神がお鎮まりになる出雲大社を宗祠そうし(根源となる御社) として全国に教会・講社を設けて、全国的な組織 で 大国主大神の御神徳を布教する神道教団です。
但し、出雲大社は「宗教法人出雲大社」、 出雲大社教は「宗教法人出雲大社教」であり、別団体となります。

歴史と創建

トンボ
出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。

・大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
・高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
・所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)
・神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲国風土記』楯縫郡)
・崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。(『日本書紀』)
・垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
・659年(斉明天皇5年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)

伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
Wikipedia参照

出雲大社の参拝

銅像
出雲大社は「二拝四拍手一拝
普段のお参りでは「二拝二拍手一拝」ですよね?
しかし、出雲大社では「二拝四拍手一拝」が基本です。

お食事処 八雲

参拝も終わりお昼に「お食事処 八雲」さんで出雲そばを堪能しました。
いわゆるざるそばに様々な薬味が乗っており3〜5個ほどの器で出てきます。(3色割子そば・5色割子そば)
私は、これでは足らないので天丼をプラスで頂きました。
と、言ううよりミニ天丼セットを大盛り天丼セットにして頂いたのですが・・・
ご無理を言いました。
天丼+2色そば
とても上品な味で食べやすく美味しかったです。
余談ですが、後ろの出来の方は「うどん」を召し上がっていました。

今年も4月と10月に参拝ができ道中の事故等もなく無事にお参りができてとにかく良かったです。
次回は、2017年の4月に「感謝・報告・天望」を述べにお伺いしたいと思います。
最後までご既読頂きましてありがとうございました。

地面

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