ブログ記事を書くときやコンテンツマーケティング行うときの“ペルソナ”は、一人に向けて書く事が大切【コンサルティング】
フリーランスWeb・動画クリエイターの井上( @Kouki_Inoue0411 )です。
ブログ記事や動画、様々な媒体でのコンテンツマーケティングやコンテンツ制作を行うときに必ず設定する“ペルソナ”ですが、多くの方の観覧して沢山の人に反響がもらえるように。と、
- 年齢は20代~40代
- 性別は女性
- 未婚
- 職業は、小売販売系の管理職の方
- 年収は、300万~450万円位
- 人口は、1万人~10万人位の都市に住まれている方
- …
と、何となくのペルソナ及びターゲットを決めて不特定多数の方に向けたコンテンツを作っていませんか?
もちろん、マーケティングでは基礎の「き」の部分で大切なことなので、否定はしません。
ですが、もっと効果のある・集客出来る・メッセージの強いコンテンツ制作は【顔が見える、たった一人の為に作る】ことです。
ペルソナって顔が見える人に設定した方が、真っ直ぐに伝えれます。
— 井上 光貴@黄昏のフリーランサー (@Kouki_Inoue0411) June 5, 2019
と言う、顔が見えない人(不特定多数の方)に伝えるメッセージとたった一人だけに伝えるメッセージって違うはず。
どちらが、相手に届きやすいかは一目瞭然。 https://t.co/37ccJYCjSf
ペルソナってなに?
~略~
消費者は大なり小なり「問題」「悩み」を抱えていて、商品の購入によってその問題解決をしようと試みます。
だからこそ、企業側は商品開発の際にユーザーを想定する必要があります。また、自社商品で対応可能な「問題」を抱えた消費者を見つけ出さなければなりません。
そのために架空のターゲット=ペルソナが必要なのです。~略~
f-light ペルソナの作り方【はじめてのコンテンツマーケティング実践編】
要するに、誰のどの様な悩みを解消したいのか。
を決めることを指し、このペルソナを決定しないままコンテンツ制作に入ると、支離滅裂な構成や枝分かれしすぎて解消に至らない、日記の様なコンテンツになってしまいます。
質・量より、熱量が大切
昨今では、このペルソナ設定を行い、コンテンツを作りやSEO対策を駆使して“質”を高めて更に、沢山の記事を書いて回遊性を向上させてユーザー満足を上げて収益に繋げるやり方が、セオリーになってきましたが、本来誰に向けてのコンテンツなのかがブレているの可能性があります。
仮にブログの場合では、質を高めても100記事・1,000記事書いて1記事の文字数が5,000文字・10,000文字数であっても、その記事を読んでもらい、誰の不満やストレスを解消しているのか分からいのであれば、その記事の“価値”はあるのでしょうか?
「とにかく、文字数と記事数を書いておけばいい。」
「検索上位に食い込んでいれば観覧数(PV)は、上がる。」
この様に、自己中心的なコンテンツに価値はあるのでしょうか?
観覧者は、この様な記事を読んでファンになってくれのでしょうか?
また、この人の記事を読んでみたいと思ってくれのでしょうか?
答えは、すべてNOです。
客観的に見てもそもそもを考えても、間違えています。
“誰のため”のコンテンツなのか。
を考えて書いていないと結果は薄利です。
だから、ターゲット層やペルソナが必要なのです。
しかし、ターゲット層やペルソナを決めても顔の見えない人達に対しての発言・メッセージと知人・友達・家族等の顔が見える人に対しての発言・メッセージは異なるはずです。
どちらが、メッセージ性の強いコンテンツなのかは、圧倒的に【顔が見える、たった一人の為に作るコンテンツ】の方です。
つまり、たった一人の不満・ストレスを解消することが“熱量”につながるのです。
人は、都合の良い事だけを受け入れる生き物
人は基本的に“自分事”と“他人事”を分けて物事を判断しています。
上記までをまとめると、不特定多数の方に対してのメッセージでは、例え素晴らしいコンテンツ内容でも“他人事”として捉えられてしまう可能性があります。
しかし、顔の見えるたった一人の為に作ったコンテンツは、妙にリアルで「自分にも起こるかも」や「自分のことを言われているのではないか」と錯覚してしまいます。
つまり、観覧者(ユーザー)は勝手に“自分事”として捉え、そのコンテンツの信憑性を上げ、「この人は信じれる人だ」と思ってくれます。
だから、“熱量”で伝えていく
本当に伝えたいメッセージは、本来そんなに長くないはずです。
例えば、大根生産者なら「この大根は、他とは比べ物にならないくらい美味しんだ」が、本来伝えたい出発地点とゴールなはず。
一番シンプルで、ユーザーに「そうなんだ」と言って思ってもらえます。
つまり、
熱量とは、言っている事や今までの経験等の気持ちを本気で向き合っているからこそ出来る制作物(言葉・行動など)のこと
少しだけスピリチュアル話をさせて頂きます。
言葉には、力があります。
その人が、何も感じていないのに「すごいね」と言われても、言葉の価値はあっても本髄には響きません。
どうでもいい言葉です。
しかし、本気で「クソ。負けた。」と言葉は悪くても、その言葉は本髄に届きます。
言葉には“言霊(ことだま)”が宿ります。
どうしても信じられない政治家や起業家がいるのは、本気でそう思っておらず口先だけで綺麗事を述べているから、心にその言葉が入ってこないんです。
たった一人の為に、本気で伝える。
仕事柄、ローカルラジオのDJの方とお話をさせて頂くことがありました。
その時にそのラジオのパーソナリティーの方は、
「誰が聴いているか分からないラジオ(放送)だからこの位でいいや。
ではなく、誰かに聴いてもらえるラジオにする為には、目の前に聴いてくれている誰かがいると思ってしゃべること」
と言われていました。
コンテンツ制作も全く同じことだと自負しています。
テレビ局や新聞社やWEBメディア各社と同じことをしていてもまず勝ち目は無いし、同じ土俵に上がる必要もありません。
【たった一人の誰かの為】になりたいと思うことが、自分らしさにも繋がるのだから、人の目を気にして人の固着の中で生きていて良いコンテンツは作れません。
まとめ
昨今では、様々なコンテンツマーケティングやコンテンツ集客の方法が出回っていますが、一番大切なことは自己満足ではなく人の為にコンテンツは作り、人の役に立つ情報発信が最終的に評価されます。
小手先だけのテクニックは、この時代必要です。
確実に必要です。
精神論や根性論では前に進まない事の方が多くなってきましたが、人間は感情で物事を判断し左右されるモノなので根本的には、人の為を思い行う行動が最善の近道なこともあります。
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